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中国ニュース

1労働問題


  • 日系企業でのストを振り返る

 日系企業で大規模なストライキが起きた例として大連における2005年のストが挙げられる。以下、凰周刊2005年第34;203 において報道された記者のレポートに従って振りかえってみる。
1 2005年7月27日にT社大連有限公司で500名の労働者のストが発生した。同社では毎月36時間を越える残業が行なわれていたので大連市の労働観察部門が改善通知を出したところ、残業時間を減らすために生産ラインの速度が上げられ労働強化になったため、労働者が不満を持つようになった。7月27日に数百人の労働者が賃金アップを要求した。3時間、工場全体が生産停止となった。
政府と大連市開発区管理委員会と総工会が介入し、会社側が毎月150元賃金を上げること、工場記念日に1000元のボーナスを渡すことでストライキは収束した。このストライキの成功は大連市開発区内の他の企業に伝わった。
 9月9日、C社の会社記念日に早朝8時から1600名の労働者が会社の体育館前でストライキを行なった。この会社ではA班とB班に分かれ、A班は16時50分から2時15分まで、B班は7時50分から16時50分までの労働時間となっていた。睡眠中であったA班の者まで加わり6000人が参加した。参加者は17歳から22歳までの若者で、30歳以上の者は仕事を失うのがこわくて作業場でじっとしており声援を送ることもできなかった。C社では23歳以上の女性は解雇できるという規定があった。
ストライキ参加者はC社に200元の賃上げを要求し、23歳以上の女工を解雇できるという規定を廃止し、暖房費の補助など12項目の要求を出した。
C社の中方管理者と工会主席が立会い、労働者の要求を賃上げを含め全て了承した。
ところが午後3時に開発区の管理委員会と総工会とが介入し賃上げ要求にはこたえられないこととストライキは違法であることを告げると、労働者側の怒りが湧き上がり作業復帰できないことを表明した。
 政府役人の態度は強硬で応じないものは懲戒解雇とのことであった。C社は4日後に数名を解雇した。10日になりC社はストライキの意志の固いB班の労働者を休暇とした。A班の労働者に対しては、関係部門、工会、中方管理者が働くように説得し、労働者に職場復帰することを約束する書面にサインさせるようにした。
 11日に数千人のサインを拒否した労働者が宿舎を出て東北大街に集まり、政府の強硬な復帰要求に抗議した。
 12日にはN社の労働者9000人が応援のストライキに参加し、1週間以内のうちにM社など十数社の日本企業に広がりスト参加者は3万人にのぼった。
2 この雑誌記者は、反日運動ではなく、低賃金に対する抗議であったという。ひとつにはトヨタ方式の生産管理が、労働者の姿勢など身体の細かい部分まで規定どおり動くことを要求し、労働強化になったと労働者が受け取っていたこと、休憩時間が少なく体への負担が増していたこと、会社が労働者の医療保険、養老保険などの義務を逃れていたケースがあったことなどを原因と述べている。また労働法上、1ヶ月36時間以上の残業は禁止されているのに、これを超過する例があったこと、賃金水準が大連市の職工の平均賃金と比較してもかなり低かったことなども不満の原因としている。
3 政府が今回のストライキの主導者は誰か、代表は誰なのかと尋ねたときにスト参加の労働者たちは萎縮し、自分が主導者だとみなされるのを恐れた。このストライキは自然発生的なもので計画されたものではない。もちろん工会は労働者側になんら関与していなかった。

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